ひとりっ子長男は特定不能の発達障害

【障害受容のプロセス】我が子の障害を認められずに悪あがき

 

 

※専門的知識のない素人の考えです。

 

私はひまわり教室(療育)に通っていた頃「こどもに障害がある」と診断を受けたママ友からよく話を聞いていました。

 

「診断名を告げられた瞬間号泣した」

「ガチで寝込んだ」

 

など聞いていたので

児童精神科を受診する前から

 

「障害受容」

「こどもに障害があると診断されたら」

 

というキーワードでググっていました😅(←検索魔)

 

実家・義実家どちらも遠方で頼れない私としては寝込むわけにはいかなかったので!!

 

 

そうしたところ、

ドローター
ナンシー・コーン
ブルース・フィンク
 
という方々の説(プロセスモデル?死や障害を受け入れる過程でどういう心の動きがあるか)がたくさんヒットしました。
 
間違ったことを書いてはいけないので詳しい内容は省略しますが
 
専門知識のない私からすると大体同じような流れで
(専門家には全然違うわー!と怒られそうですが💦)
 
 
1.ショック
2.否認
3.悲しみ怒り
5.受容
 
といった感じでした。
 
 
ハルが診断されてからの自分の心の動きとしては
 
1.ショック
2.否認
3.悲しみというより不安
4.現実逃避
5.諦め・無気力
6.受容
 
という感じです。
 
自分が診断されたのではなく、子どもが障害だと診断されたので色々違って当たり前なのでしょうが。
 
2否認については、
うちの子に障害はない!と認めずにドクターショッピングをする親の話も耳にしていたので
 
「私はどんな結果でもきちんと受け入れよう」
「往生際の悪い考えはやめよう」
 
と思っていたのに、診断後はフツーに否定の気持ちになりました😅
 
 
「キツイことで有名な先生だもん。他の先生だったら診断されなかったんじゃない?」
 
「ハルは診断される程じゃないよ、グレーゾーンじゃない?」
 
「ハルのことちょっとしか見てないのに何が分かるの?」
 
と。
 
"子どもの障害をちゃんと認めたらいいのに"なんて上から目線で思っていた過去の自分を殴りたい👹
 
 
その頃、防災についての本もよく読んでいて、その中に
 
正常性バイアス(正常化の偏見、恒常性バイアス)
 
という言葉がありました。
 
Wikipediaによると
 
自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう特性のこと。
日々の生活の中で生じる予期せぬ変化や新しい事象に、心が過剰に反応して疲弊しないために必要な働きで、ある程度の限界までは、正常の範囲として処理する心のメカニズム。
 
-引用
正常性バイアス」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』2018年7月31日 (火) 15:01 UTC
 
 
だそうです。
 
このメカニズムによって、災害時にも「自分は大丈夫」と思ってしまい、逃げ遅れの原因となるらしい。
 
 
子どもが発達障害と疑われたり、診断された時にもこの現象はあるのかなぁ?と思いました。
私の想像ですが😅
 
だって心が過剰に反応しちゃったら疲弊どころか壊れてしまう😱
 
この"正常性バイアス"という言葉を知ってからは
「受け止めきれないのは脳の仕組みであって自分のせいじゃない!仕方ないんだ」
と考えることにしていました。
 
 
2の否認の気持ちと同時に3の不安が押し寄せてきました。
 
子どもや自分の将来に対する漠然とした不安。
 
 
次に4の現実逃避。
 
何も考えたくない。
 
 
それと同時期に5の諦めの心境。
 
何も手につかない。したくない。
 
頭でずっと考え事をしている訳で、疲れ切ってるから体が言うことを聞かなくなるんですよね。
 
無気力にはなったものの食欲は衰えず、夜もそこそこは寝れていたので鬱まではいかなかったんですが…。
 
 
診断から3年以上経った今は、6の受容…
 
と言いたいところですが、5の諦めと6の受容を行ったり来たりしている感じです。
 
たまに2、3、4もぶり返したり😓
 
 
3の不安については、やはり情報を得ることで最初の頃よりはだいぶ薄れてきました。
 
本やブログを読んだり、先生や療育ママ友と話したり、先輩方の体験談を聞いたり。
 
「障害」が未知のものだった頃が一番怖かったです。
 
 
いまだに2の否認、ハルの障害を認めたくない気持ちは消えていません😖
 
心の中に5%くらい? 
 
95%は認めているので、今はハルの生き辛さを少しでも減らせるように
環境調整と療育に取り組んでいます💪

 

 

※このページの下の方に👇カテゴリー注目記事があるので、良ければそちらも見ていってください☺