未診断ですが、妹(私)の目から見て 境界知能で自閉症スペクトラム、ADHD要素も強い兄の高校・思春期時代についてです。
前にも書きましたが、
障害のあるお子さんときょうだい児を育てている親御さんはこの内容に嫌な気分になるかもしれません。
しかし、これは昭和57年生まれの兄と昭和59年生まれの私の話であって
「適切な支援を受けなかったらこうなった」
悪いパターンだと思って読んでください。
前回↓
高校時代
前回書いたように、兄は受験には失敗しましたが、気質に合う高校に入ったことで友だちも出来て高校三年間は楽しく過ごしていました。
(失礼ながら)市内で1番簡単な高校に入ったのだから、成績は中くらいにはなるかな?と思っていたら20点や30点をよくとっていました。
(親は成績に厳しくなく、兄も隠す気がなかった)
0点とか10点ではないんですよね。
20~30という絶妙(?)な点数。
平均点が何点かは分かりませんが、高校3年間もずっと低空飛行だったとは思います。
早くから
「大学には行きたくない(行けないだろうし)」
と言っており、親もそれを受け入れ、家庭教師は高校に入ってすぐ辞めていました。
兄の趣味
子どもの頃は電車や車が好きでしたが、中学くらいから
アニメ
ゲーム
といった物にハマります。
今なら趣味は人それぞれと言えますが
(私も漫画好きですし)
私も思春期の頃は、2歳上の嫌っている兄が美少女が出てくるアニメやラノベばかり見ているのは
「気持ち悪い」
と思って見ていました(-_-;)
今みたいにオタクに寛容な世の中じゃなかったし。
40歳になっても兄のその辺りの趣味は変わっていません。
Twitterはアニメやアニメーター、女性声優ばかりフォローしています。
(本人は私にバレていないと思っていますが、私は兄のTwitterを把握しています)
兄と私
いくらオタクの兄でも勝手にTwitterを覗いたり酷くない?
と思われるかもしれません。
なので、ここいらで私と兄の歴史を振り返りたいと思います。
保育園の頃から続く兄の地雷の一つが
「自分のものに触られること」
「自分のものを動かされること」
です。
今なら極端に強いこのこだわりは自閉症ゆえにだと思えるのですが、保育園の頃の私に理解できるはずがありませんでした。
物心ついてからというもの、兄のものを触って怒られた記憶ばかり残っています。
私も悪かったかもしれませんが、今思えば大人にもっと環境調整をしてほしかった。
幼い子どもがリビングに置いてあるものを色々触るのは仕方ないと思いませんか?
春生まれの兄と冬生まれの私は学年は2学年差ですが、歳で言うと約3歳離れていました。
自営業共働きで忙しかった母は兄妹喧嘩はあまり立ち入らないという主義で、
療育的に考えると「お兄ちゃんの物は妹の手の届かない所に置きましょう」
となると思いますが、当時そういった配慮は全くありませんでした。
兄もADHDで片付けというものが全くできないので、何でもその辺に置きっぱなし。
手の届くところに大事なものを置いておいて、それを妹が触るとブチ切れるという毎日でした。
私たちが小学校、中学校、高校…30歳をとっくに過ぎた今でも母の口癖は
「お兄ちゃんなんだから仕方ない」
「あんたも悪かったんだから」
です。
「お兄ちゃんだから」というのは先に生まれたから、ではなく「あぁいう性格なんだから」ということです。
「あんたも悪かったんだから」
というのは「お兄ちゃんのことは放っておいたら良いのに、お兄ちゃんに干渉するから」という意味です。
干渉の中身はこんな感じでした↓
私と兄が中学生くらいの時、兄が飲みかけの缶ジュースを何日もリビングの机に置きっぱなしでした。
それが嫌で兄に「捨てて」と言っても「おー」「あとでなー」
と言うだけなので、3日くらい経って私が捨てました。
※機嫌が悪いと「捨ててくれない?」といっただけで「うるせー!」と殴られる危険性があるので、いつも❝そこまでにはならないだろう❞というタイミングを見計らっていました。
そうしたところ、兄がふとした瞬間に思い出したんでしょう。
「俺の缶は?」
とキレ、テレビのリモコンで後頭部を殴られました。
そして「缶を戻せ!」と私に命令しました。
そうなんです。
兄は❝元に戻して欲しがる❞んです。
例えゴミであっても。
理不尽な要求だと思いましたが、拒否すると暴力が酷くなるので悔し涙を流しながらゴミ袋を漁り、腐った臭いのする空き缶を机の上に戻しました。
「兄のゴミを捨てなきゃいいじゃん」
と思われるかもしれません。
私も兄の部屋はどんなに汚くて虫が湧いていようとノータッチです。
でも、共用部分は私だって譲れない部分があります(T_T)
これを❝干渉❞と言うのでしょうか?
境界知能でワーキングメモリが低い+ADHDの不注意の強い兄はそのまま「ゴミ」のことは忘れることもあり、私のゴミ捨てが成功するときもあったんです。
なのでいつも一か八かでチャレンジしていました。
リビングの机に空き缶が放置してあって他の家族は気にならないのか?
という疑問が沸くでしょう。
父は兄の特性の源でもあるので、片付けられないしゴミ屋敷になっても気にしません。
母はそこそこ掃除もできるタイプですが、ちょうど私たちが中学生の頃、自営業が忙しい時期で、家事を最低限しかしていない状態だったので放置です。
ゴミ問題以外にも兄からは日常的に
「お前さえ生まれてこなかったら」
「死ね」
と言われ、テレビのリモコン、ジャンプ(雑誌)を投げられたり、通り過ぎざまに後ろからグーで殴られたり、蹴られたりしていました。
あと、「家にいると邪魔だ」と土日はよく追い出されていました。
お昼ご飯を食べたら外に出て、夕方になったら戻っていいという暗黙のルールがありました。
友だちの家にお邪魔したり、公園などで時間を潰したり。
今は「放置子」という言葉がありますが、その言葉を聞くたびに幼いころの自分を思い出します…
(でも、そういう時代でしたよね…?)
これらのことは忙しそうな親にはほとんど言えませんでした。
最近、ためこみ症という言葉を知りました。
・兄は他人の捨てたものは拾わない
・チラシなども捨てないけど「捨てたくない」ではなく掃除ができないことからの「捨てられない」
なので、ためこみ症とは違うのかなぁ。
専門学校を受験
兄は高1の頃から「勉強が嫌いだから大学には行かない」
と言っていたので、就職するのかと思いきや、専門学校へ行きたいと言い出しました。
アニメ関係の専門学校です。
専門学校もピンキリだと思いますが、高3の夏に母とオープンキャンパスへ行ってその場で内定?を貰ったと言っていたので、学費さえ払えば入れるところだったんでしょう。
隣の県にある専門学校だったので兄は一人暮らしをすることになりました。
兄が実家を出る選択をしたのは意外でしたが、私が高2~高3まで兄のいない実家はとても平和でした。
次は兄の専門学校編です
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