ひとりっ子長男は特定不能の発達障害

【境界知能の兄】中学生活/偏差値27上の高校を受験して失敗

 

未診断ですが、妹(私)の目から見て 境界知能で自閉症スペクトラムADHD要素も強い兄の中学時代、高校受験についてです。

 

障害のあるお子さんときょうだい児を育てている親御さんはこの内容に嫌な気分になるかもしれません。

しかし、これは昭和57年生まれの兄と昭和59年生まれの私の話であって

「適切な支援を受けなかったらこうなった」

悪いパターンだと思って読んでください。

 

今は❝きょうだい児❞という言葉も周知され、私の療育ママ友たちも本当に気を配って上手に接しているので兄と私のような良くないきょうだい関係は絶滅していっていると思います。

 

小学校時代の逸話

 

中学時代

 

学区の公立校に入学します。

平成7年のことです。

ルーズソックスが流行り、ヤンキーの先輩は校内で隠れてタバコを吸っていてトイレが煙たかった時代です。

 

兄は深刻ないじめは受けませんでしたが、

いじり、からかい

などはあり、不登校までいかない登校しぶり五月雨登校はしていたと記憶しています。

 

もちろん、いじめは加害者が悪です。

 

でも、今思うと、兄には私立中学が合っていたんだと思います。

 

ド田舎という訳でもなかったので、市内には市立中学が何校もあり、中には偏差値の低い❝名前を書けば通る❞と言われていた私立もありました。

 

クラスメイトも1/4くらいは私立受験していました。

・勉強ができるから高偏差値の私立中学

・勉強ができないからこそ低偏差値の手厚い私立中学

と2パターンありました。

 

実家は裕福ではありませんでしたが、兄一人を私立中学に通わせるくらいはできたと思います。

 

そうしなかったのは、両親に情報がなかったからです。

 

自営業(職場は学区外)で共働きだったのでママ友繋がりはなく、今と違ってネットで情報収集もできなかったので、中学受験という発想がなかったようです。

 

母も私たちが大人になってから

「近所の○○ちゃんは私立中学らしいわ。今思えばお兄ちゃんも私立の方が合ってたでしょうねぇ」

と話していました。

 

高校受験

 

これも発達界隈でよく聞くはなしですが、 自分の実力を見誤って

❝どう考えても無理でしょ❞

と思われる高校を第一志望にしていました。

 

さすがに市内で1番の高校ではないのですが、兄は市内で2番目に偏差値の高い高校を第一志望にしていました(私立の特進を除く)

 

・軽めとはいえ自閉症の特性があるゆえに自分を客観視するのが下手なのか

 

精神年齢が幼いからこそ「奇跡は起こる☆」と夢見るのか

 

今流行りのなろう系俺TUEEE系と呼ばれる小説や漫画をご存じでしょうか?

 

私の解釈が間違っているかもしれませんが、簡単に言うと異世界転生して最強になる!みたいなやつです。

 

私も漫画としては楽しく読んでいますが、兄は30歳くらいまでは

「今は冴えないけど(←自覚はある)俺もいつか逆転できる!運が回ってくる」

と本気で思ってた節があります…

その為の努力は一切せずに。

 

 

話を高校受験に戻します。

 

兄と母は三者懇談でやんわり

・可能性は限りなく低い

・志望校を下げた方が良い

と指摘されていました。

 

今、ネットで偏差値を調べたところ

兄の第一志望校:偏差値67

兄が通った高校:偏差値40

でした。

偏差値が27違います。

兄の受験は23年前ですが、当時もそれくらいの差だったと思います。

 

兄の成績はクラスで下から5番目くらいの感じだったと思います。

 

兄より下の成績の面々は

・勉強を全くしてない不良

不登校の子

・兄と同じく真面目で勉強が苦手なタイプ

といった感じでした。

 

学校では真面目で提出物も出していたので、成績の割には内申は悪くなかったと思いますが、5段階評価の5は0だったと思います。

4もほぼない。

(体育も美術も苦手)

 

母の偉いところ(?)は「お兄ちゃんの気が済むようにさせてあげよう」

記念受験とも言える無謀な受験に反対しなかったことです。

 

勉強のサポートもしていました。

集団塾→ついていけず

個別指導塾→先生との相性が悪い

家庭教師→長続きしたが、成績は上がらず

 

と、家庭教師まで利用しましたが、受験に奇跡は起きず、サクラチル。

 

滑り止めに受けた私立高校に進むことになりました。

 

偏差値は底い高校でしたが、ヤンキー系はほとんどおらず、兄と同じく真面目でも勉強は苦手の集まりでした。

 

(学費が高い、指定の制服、コート、靴下とあって生活態度には厳しい校風ということが影響してか)

 

この高校が兄には合っており、小・中ではほとんどいなかった気の合う友達もできて、高校3年間は無遅刻・無欠席の皆勤賞で卒業式で記念品も貰えた、と誇りに思っておりいまでも部屋に飾っています。

 

 

 

 

兄の勉強スタイル

兄は真面目でした。

宿題は必ずしていました。

 

勉強に対しても

「勉強なんかするもんか!」

ではなく

「勉強しなきゃな」

というスタンスでした。

 

しかし

・集中力が続かないのですぐマンガを読み始める、冷蔵庫をあさる

・理解力も低く、問題が進まない

・効率の悪い勉強の仕方をする

・「解けない問題は捨てて次に」みたいな臨機応変が苦手

ケアレスミスも多い

・そもそも文字を書いたり読んだりが人より遅い

 

といった、今思うと特性が邪魔している所が多々ありました。

 

 

 

努力できるのも才能

とは誰が言った言葉だったでしょうか。

 

批判を承知で書くと、兄には努力する才能もなさそうでした。

 

「家でめちゃめちゃ努力してるのに赤点」

なら「本人も頑張ってこれなんだから仕方ない」と諦めも付きますが

兄が勉強に集中している姿は見たことがありませんでした。

 

偏差値27上の高校を受験するのにこの危機感の無さ。

いくらIQが低い、境界知能(推測)といってもおかしい。

 

母が勉強するように優しく言っても

「うるせー!」

「今しようと思ってたのにやる気なくなったわ」

「勉強勉強言われて(←誰もそこまで言ってない)ストレスたまって頭が痛い」

「俺を殺す気か」

と言っていたのを覚えています。

 

 

私は兄に比べると勉強はできて友だちもいる方だったので

「お前はいいよな、苦労もせずに」

とよく言われました。

私は

「にいちゃんが努力してないだけじゃん」

「私が努力してるのも知らずに」

「勉強してるつもりでマンガばっかり読んでるじゃん」

「にいちゃんは家庭教師にまで頼ったくせに。私は❝あんたなら大丈夫❞と塾にも通ってないんだよ」

と心の中で思ったものですが、38歳になった今では、兄が妹のことをそう見えても仕方ないんかな。

と思いました。

 

優しさではありません。

 

エラが付いていない人間に「エラ呼吸しろ」と言っても無理なように、努力する才能、資質がない兄に「努力しろ」と言っても無理なのかもな、と思っています。

 

詳しくは次の【境界知能の兄】高校生活編で書こうと思います。

 

兄に悩まされて30年以上。

もちろん、このシリーズは全て読んでいます。

 

 

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